新年明けましておめでとうございます。古民家再生LABOのいしです。
1年を振り返る間もなく新年を迎えてしましましたが、大晦日はちょっとカオスな紅白歌合戦を楽しみ、元旦は1日静かに過ごすことができました。
そして今日は親族が集まり、大いに盛り上がりました!
子供達は自分たちがそうだったように時間を忘れて遊び、大人達は酒を片手に昔話に花を咲かせていたのですが、毎年酔った勢いで新しいカミングアウト話が飛び出します。
今年は、歴代のペットにまつわる話でした。
我が実家では、イヌ、ネコはもちろん、コイやニワトリ、孔雀なんかも飼っていました。
どうしてそんなに動物がいたのかというと、やはり親の性分と飼う場所があったからだと思います。
また、ペットを飼うのに「買う」ということはありえなく、全ては「引き取ってくる」ことから始まりました。
引き取った以上、当然世話をしないといけないのですが、当時一番思い出深いのは初代の飼いネコ、
ニャンニャンです。
ニャンニャンは女の子なのですが、人間だけでなく地元ネコ界でとても人気があり、いつもお腹が膨らんでいる状態でした。
なのでその内、家の周りはニャンニャンの産んだネコだらけになっていくことになります。
そういったネコ達は飼いならされない「野良ネコ」として成長していく過程で、色々と悪さをするようになります。
人間達の生活にも少なからず影響が出始め、「このままじゃ生活が大変なことになる」という理由である儀式が行われるようになりました。
それは、子猫の川流し。
生まれて間も無い子猫が発見されたら、袋に入れて川に流すのです。
なんて酷いことを!と思うかもしれないですが、当時は去勢という考え方もなく、それ以外に選択肢は無いと思われていました。
そして大人達は、子供達に対してはそんな酷いことをしているとは決して言いません。
でも子供も大きくなればその事実と向き合うこととなり、否応無くそれに関わるようになります。
私はニャンニャンが大好きだったし、子猫が増えればもっと楽しくなると単純に思っていましたが、私自身も大きくなるにつれて「川流し」のことを少しづつ聞くようになります。
「そんなことが許されていいのだろうか?」
おばあちゃんに見つかった子猫達は確実に川に流される。想像するだけで涙が出て、おばあちゃんを憎みました。
解決方法を考える前に、「それは絶対阻止しないといけない」という気持ちが先立ちました。
ある時、ニャンニャンが間違って自分のベッドで出産をしてしまいました。
血まみれになったシーツに動くそれが子猫だとわかった時、「絶対に守らないといけない!」と思いました。
でもこの状態を隠し通す訳にもいかず、ニャンニャン自身も「ああ、またアタシの子供達は川流しか」なんていう顔をしています。
結局母親にバレてしまい、子猫達は「強制連行」されていきました。
懸命に抵抗する私や妹をどうにかしてなだめようとする母親と、淡々と準備に入るおばあちゃん。
子猫達は例外なく川に流されていくのでした。
そんな悲しい歴史が繰り返される中、我が実家で、飼いネコ史上最も長生きしたニャンニャンは今でも伝説のネコであり、今日も語り草となっていたのですが、兄が急に、
「オレ、川流しの現場に行ったんだよねぇ」と言いだしました。
聞くと、当時おばあちゃんに連れられ、「ほら、お前がこの子猫達を流すんだ」と手渡され、実行役を任されたのだそうです。
気持ちをぐっと抑え、言われるがままに川流しするとおばあちゃんから「よし、それでこそ男だ」と褒められたのだそう。
「イヤなことでも誰かがやらないといけない時はあんたがやるんだ」というのを、おばあちゃんは兄に教えたかったのだと思いますが、そんな自分よりもはるかに辛い思いを兄はしていたんだと思うと、当時自分の幼い正義感がとても恥ずかしく思えました。
でも時を経てそういったカミングアウトは、一瞬の勇気や恥ずかしさを超えて全てを受け入れる器になってくれる、とも感じました。
家族や親族同士って側から見るとお互い何でも知っているように見えますが、知ろうとするほど知らないことだらけなのがよく分かります。
それと向き合える貴重な時間が「親族の集まり」だということも。
みんなの古民家はそれをずぅ〜と見てきてるのですね。
途切れさせない。バトンはたとえ落としても、どんなカタチであっても必ず次に人に渡す。
そんな意思が固まった日でもありました。
本年も宜しくお願いします。
いしでした。
イシ
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